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大徳寺高桐院 

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P-のりが最も好んで訪れる寺院のひとつ。
臨済宗(禅宗)大徳寺の数ある塔頭のひとつ、「高桐院」である。

戦国大名「細川忠興(三斎)」公のおこした寺として有名だが、
彼が「千利休」に師事したこともあり、利休に因んだ遺物が
そこかしこにある。
そんな話を持ち出すまでもなく、大徳寺自体が開山以来、
常に三千家との太いパイプを持ちつつ歩んできた証拠が
数多ある塔頭のすべてに茶室があるという事実だ。

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↑書院に北西にひっそりと佇む名茶室「松向軒」
建立は三斎公だが、茶室内の壁は、間違いなく
利休が好んだ色・・・「黒」。
彼が愛用した「楽長次郎」作の茶碗も黒が多いことからも、
その説は有望であるという。

黒は、禅において無限宇宙をあらわすだとも聞いたことがある。
「茶禅一味」というように、禅の世界観と侘び茶の精神がここに
クロスオーバーしていることが見て取れる寺院、高桐院。



ところで、細川三斎公の正室は、あのガラシャ夫人。
ガラシャと名は洗礼名であり、本来はお玉と呼ばれたそうな。

彼女は、暴君織田信長を本能寺で倒したために、後世に渡って
為政者の恣意により「逆賊」呼ばわりされてしまった不遇の大名
「明智光秀」公の息女であることは有名。

父親譲りの聡明さと類を見ない美貌を持ち合わせていた彼女は、
父が時の為政者を暗殺したため、一時は丹後地方の山奥に
夫や幼な子と離れ隠棲することになったり、キリシタン禁令により
幽閉されたり、夫三斎公が出兵して留守の間に石田光成に
よって攻められ自決による最期を遂げたりと、悲哀に満ちた
人生であったようだ。

P-のりは、ガラシャ夫人にまつわる歴史が好きなので、
その辺りの話を取り上げた大河ドラマが放映されないか
いつも期待している。



三斎公とガラシャ夫人の墓標が、書院西側にある。
それは、利休から遺贈された燈篭であるという。
この燈篭にもエピソードがある。三斎公に贈る以前、
豊臣秀吉に乞われたが、利休はわざと燈篭の一部を
割って欠いて、疵ものとして秀吉の要求を退けたという。

↓細川公夫妻の墓標となっている燈篭
 背面の蕨手が欠けている。
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案外、こんなエピソードからも利休が秀吉をして切腹させ
られるきっかけのひとつになったのではないか?
という想像もできるはしまいか・・・?
(注:利休切腹理由の主説は、「金毛閣」と呼ばれる大徳寺の
勅旨門の楼上に利休像を安置したからだと言われている)


つくづく歴史的なエピソードと切り離せない寺、大徳寺。
ここ居るだけで様々なイマジネーションが頭を巡り、目を
閉じると、あの時代にタイムスリップできるかのようである。
中でも、歴史の残像が濃厚に楽しめる大徳寺「高桐院」。
未だでしたら、ぜひ一度足を運ばれてはいかが?

大徳寺塔頭「桐院」
京都市北区紫野大徳寺町73-1
℡075-492-0068
市バス建勲神社前下車北へすぐ

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