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美しい比叡山に会いに行く 

とてもよく晴れた週末
空の青さがあまりにも清々しかったので
何処かに出かけたくなった

こんなに青々とした空の日はきっと
「あの場所」から眺める比叡山はさぞかし!
と思いついた


「あの場所」に向かう途中の北山通
植物園前ににさしかかる
新緑と青のコントラストが眩しかった
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あの場所へは北山通から下鴨中通りを北に上がる
途中三又を 深泥ヶ池の方に行かずに
真ん中の山に登っていく細い道を行くルートと
深泥ヶ池の方から岩倉に向かって
岩倉自動車学校の角を左折するルートと2通りある

「あの場所」とは 「園通寺」
もとは後水尾天皇がつくった幡枝離宮
彼は比叡山がもっとも美しく見える地を
求めて都中を歩き回ったという
そしてやっと探し当てたのがこの場所だったらしい

その後幾多の紆余曲折を経て離宮は
現在臨済宗妙心寺派の禅寺になっている

その書院前庭から眺める借景の比叡山は
なるほど後水尾天皇が高い理想で追い求めた
甲斐があったと思えるほどの
凛として堂々とした姿で 庭との関係も
絶妙な見せ方でそこに在った
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青い空に映えて比叡山の雄姿
今日はまた格別に美しかった

ちなみに比叡山は二つの峰がある
京都市内からいつも見ているのはそのうち
低い方の「四明岳」と言われる峰だそう
高い「大比叡」はその陰になって見えない
(確か大原あたりからは二峰とも見えたはず)



素晴らしい景色を堪能した後
帰ろうと寺の門をくぐってみたら
門前に何やらcafeの案内板が!

案内のいざなうまま 急な坂道を登っていくと
丘の中腹に一見誰かのご邸宅?と思しき家の
入口に「cage libra」の文字が

ここからの眺めはきっと素晴らしいのでは?
と期待しつつ 季節の花に囲まれた
庭つたいの急な階段を登って行くと
案の定 それはそれは見事な眺めだった
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庭に面したデッキでお茶をいただく
デザートセット 1050円
(ケーキとフルーツの盛り合わせ+紅茶かコーヒー)
この圧巻の眺め!と抜群のお得感があるお茶代ならば
これは穴場!と言い切れる

何だか得した気分の週末だった


cafe libra (カフェ・リブラ)
お店のHP
北区上賀茂本山100-1
075-200-8438

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紅葉三昧の一日~真如堂から黒谷さんへ 

紅い紅葉を眺めると心が踊ってしまう。
そんな気持ちになったのは、いつの頃からだろう。
若いときは、感じられなかった感情でもある。

京都市内は、山沿いを中心に自生でも庭木でも
モミジ・カエデが多いことに気づかされる。この季節ならではだ。

我が家の周辺も紅葉が紅々と青空に映えている景色を
見ることは多い。我が家にも小さいながらイロハモミジが
植えてあり、この時期には陽光を受け紅く燃えている。

でも、やっぱりあそこの紅葉を見たくなるのは、毎年のことだ。
それは、「真如堂」。かつては、紅葉景色の大御所「永観堂」や
「東福寺」などに比べれば、訪れる人は少なかったのに、最近は
観光ガイドに取り上げられるのか、あの不便で分かりにくい場所に
団体さえも来られるようにもなった。もともと狭くて行き止まりが
多い道にタクシーがわんさか入ってくるので、真如堂の門前は
騒然とした雰囲気だった。

P-のりの好みのルートは、吉田山を京大キャンパス側から抜けて
(時間があれば、吉田山の散策もオードブルの如く楽しんだりする)
吉田神社の「大元宮」や「宗忠神社」を巡ってから、宗忠社の参道を
降りていく。この参道が一直線に真如堂の門につながっている。
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宗忠神社から見た真如堂。参道の果てに真如堂門が見える。

真如堂は、本来「真正極楽寺」と呼ばれる天台宗寺院だ。
朱塗りの総門を進むと、両側にりっぱなモミジが並ぶなだらかな
階段を進むと真正面に本堂、右手に三重塔がそびえる。
絵になるのは、この三重塔と紅葉のコラボレーションだ。
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ただし、この日は三重塔周辺のモミジは散りかけであった。
本堂裏手のモミジは、青々としてこれからという状況。

その本堂裏手から細い道つたいに墓地が広がるなかを進んでいくと
いつのまにかお隣の寺の境内に入り込んでいる。このルートを
好んでよく通う。

お隣の寺とは、浄土宗の大寺院で通称「黒谷さん」と呼ばれる
「金戒光明寺」である。法然上人が比叡山から降りて来られ
初めて草庵をむすんで浄土宗の教えをひろめた場所という。

また、幕末に新撰組と会津藩が本陣を敷いた場所としても有名。
広大な墓地の北東の片隅に、禁門の変などで殉職した会津志士たちが
静かに眠る墓地がある。ここ通るたび、時代の悲哀を感じずにはいられない。

その会津藩殉難志士墓地にも程近く、広大な墓地や金戒光明寺の山門、
そして京都の街並を見下ろす丘に立っているのが、「文殊塔」である。
この文殊塔横に陽光に紅々と照らされている大きな一樹がある。
このモミジを毎年見にやってくるのだ。
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↑文殊塔横のモミジ。携帯写真なので発色がイマイチ。



帰り途、宗忠神社横の「吉田山荘」で一休み。
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堂々とした正門。「潜入」するのが躊躇われるくらいだ。

吉田山荘は、昭和天皇の義弟「東伏見宮」家の別邸として
昭和初期に建てられたものを、後に料理旅館ととして利用しているもの。

以前は、山荘2階の一室でお茶を楽しめたのだが、最近から
山荘横の蔵を改装し、「真古館」と名付けて、喫茶はこちらでのみ
利用可能としているようだ。
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真古館の2階からの眺め。北窓からは比叡山が、
東窓からは大文字山が見える。絶好のビューポイントである。

特筆は、お茶とともに女将「中村京古」さん直筆の書が供される。
ため息モノ(感嘆の意)のサービスである。
この日の書は、在原業平の歌であった。
「ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」
この季節らしい歌ですね?

吉田山荘(真古館)のHPは、こちら

御室・双ヶ丘周辺をサイクリング 

長男に新車(自転車ですが・・・汗)を買ったので、初乗り会を決行!
ついでに鉄棒の練習をするための公園探しに2人のわんぱく君とサイクリング!
自宅近くに公園もけっこうあるのだが、鉄棒の高さが「イマイチ…」と2人はのたまう。

それならばと、P-のりの淡い記憶を辿ると、確か双ヶ丘の東麓に公園があった筈と
2人を連れ出した。途中「仁和寺」に立ち寄ったりもできるな・・・とP-のりの趣味も…

御室仁和寺は、世界遺産にノミネートされて以来、すんごい参拝者が増えた!
以前は、金閣寺や龍安寺に比べたら閑散としていて、国宝本堂も勝手に上がって
これまた国宝の如来像を間近に見られたりしたのに、今では特別拝観の時にしか
近づけなくなった。

でも、真言密教である仁和寺は、禅寺と違い塔頭が所狭しと並んでいないので、
境内がとっても広く、緑溢れる公園的な存在になっている。仁和寺背後の山も
巡礼札所になっていてこれも散策するにはもってこいだ。



仁和寺を早々に出て、双ヶ丘へ向かう。ここの東麓はひっそりとした遊歩道があって、
季節ごとに楽しませてくれる木々や花たちが沢山あるのが好きだ。
因みに、遊歩道の途中から双ヶ丘山頂へ登れる道に繋がっており、
3つある山の一番北からは、御室界隈や仁和寺の境内が一望に眺められるのだ。
なかなかの景色であるので、オススメ。
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↑双ヶ丘山頂から見た御室仁和寺
 (但し、春に撮影したもの)


東麓の公園に鉄棒を目当てに行ってみたが、果たして・・・無かったのだ。
残念がる2人を連れて、この近くに他には??・・・とまた淡い記憶のままに
向かった先は、「和(なごみ)のまち御室」という場所にある公園。

2・3つの遊具がある普通の小さな公園なのだが、意外にもここの鉄棒が
2人の好みに合ったようで、公園漂流者にならず、事無きを得た感じだ。

因みにこの「和のまち御室」は、かのオムロンの元本社工場の跡地。
かつて創業者名のまま「立石電機」と呼んだ企業も、その本拠地の
地名「御室」から「オムロン」と名付けたのは、有名な話。
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しかし、オムロンはご存知の通り大企業になってこの地は手狭になったのか
南のほうに引っ越して行った。ただ、創業者の元自宅が御室に程近い
嵐電鳴滝駅近く記念館として残してあったり、一族のどなたかがその
近くに住んではったりして、オムロンの痕跡はいくつかあるのだが・・・

「和のまち御室」は、かなり広いスペースがそのままキレイな住宅街になっており、
新しい住人による営みが展開されていてそれはそれで微笑ましい。
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「和のまち御室」の入口向かいに、道を挟んでひっそりと小さな寺院が在る。
「長泉寺」と呼ばれるのだが、この寺こそ鎌倉時代にかの兼好法師が住み
有名な随筆「徒然草」を書き下ろした跡地なのだ。
「つれづれなるまゝに ひぐらし すずりにむかひて・・・」
そんな歴史的にも重要な場所なのだが、確認できるものは門前の石碑だけ。
寺内は残念ながら一般拝観されていないようだ。

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つまり古来、この御室や双ヶ丘の地は、いわば隠棲の地だった。
今となっては家は沢山あるが、それでもどことなく侘しさを醸し出している御室。
そんなこの界隈の空気感が好きである。

オススメ!秋以外の高桐院も・・・ 

    秋、散り楓の映像を先般ご紹介したが、もっとオススメなのが、「雪」。
    ただ、京都と言えども今では雪は数える日数しか積もらないので、
    この映像が見られたら、幸運としか言い様がないかも知れない。

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    この冬も雪が多いのでは?と言うむきもあるので、期待できるかも。

大徳寺高桐院 

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P-のりが最も好んで訪れる寺院のひとつ。
臨済宗(禅宗)大徳寺の数ある塔頭のひとつ、「高桐院」である。

戦国大名「細川忠興(三斎)」公のおこした寺として有名だが、
彼が「千利休」に師事したこともあり、利休に因んだ遺物が
そこかしこにある。
そんな話を持ち出すまでもなく、大徳寺自体が開山以来、
常に三千家との太いパイプを持ちつつ歩んできた証拠が
数多ある塔頭のすべてに茶室があるという事実だ。

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↑書院に北西にひっそりと佇む名茶室「松向軒」
建立は三斎公だが、茶室内の壁は、間違いなく
利休が好んだ色・・・「黒」。
彼が愛用した「楽長次郎」作の茶碗も黒が多いことからも、
その説は有望であるという。

黒は、禅において無限宇宙をあらわすだとも聞いたことがある。
「茶禅一味」というように、禅の世界観と侘び茶の精神がここに
クロスオーバーしていることが見て取れる寺院、高桐院。



ところで、細川三斎公の正室は、あのガラシャ夫人。
ガラシャと名は洗礼名であり、本来はお玉と呼ばれたそうな。

彼女は、暴君織田信長を本能寺で倒したために、後世に渡って
為政者の恣意により「逆賊」呼ばわりされてしまった不遇の大名
「明智光秀」公の息女であることは有名。

父親譲りの聡明さと類を見ない美貌を持ち合わせていた彼女は、
父が時の為政者を暗殺したため、一時は丹後地方の山奥に
夫や幼な子と離れ隠棲することになったり、キリシタン禁令により
幽閉されたり、夫三斎公が出兵して留守の間に石田光成に
よって攻められ自決による最期を遂げたりと、悲哀に満ちた
人生であったようだ。

P-のりは、ガラシャ夫人にまつわる歴史が好きなので、
その辺りの話を取り上げた大河ドラマが放映されないか
いつも期待している。



三斎公とガラシャ夫人の墓標が、書院西側にある。
それは、利休から遺贈された燈篭であるという。
この燈篭にもエピソードがある。三斎公に贈る以前、
豊臣秀吉に乞われたが、利休はわざと燈篭の一部を
割って欠いて、疵ものとして秀吉の要求を退けたという。

↓細川公夫妻の墓標となっている燈篭
 背面の蕨手が欠けている。
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案外、こんなエピソードからも利休が秀吉をして切腹させ
られるきっかけのひとつになったのではないか?
という想像もできるはしまいか・・・?
(注:利休切腹理由の主説は、「金毛閣」と呼ばれる大徳寺の
勅旨門の楼上に利休像を安置したからだと言われている)


つくづく歴史的なエピソードと切り離せない寺、大徳寺。
ここ居るだけで様々なイマジネーションが頭を巡り、目を
閉じると、あの時代にタイムスリップできるかのようである。
中でも、歴史の残像が濃厚に楽しめる大徳寺「高桐院」。
未だでしたら、ぜひ一度足を運ばれてはいかが?

大徳寺塔頭「桐院」
京都市北区紫野大徳寺町73-1
℡075-492-0068
市バス建勲神社前下車北へすぐ